Vaundyが描く『僕にはどうしてわかるんだろう』は、記憶、自己、そして景色の色づきといったテーマを繊細に描いた作品です。
過去と現在が交錯するようなリリックに込められた想いを、全編にわたり読み解いていきます。
1番Aメロ|「降りる駅を変えた」小さな決意
今晩は降りる駅を変え 僕の心に咲いていた 小さなプライドの行方を探した
日常の風景を変える、ほんの小さな行動——それは、何かを変えたいという意思の表れ。
「小さなプライド」とは、自己の中に残っていたわずかな信念や誇りであり、それを“探す”ことは自己確認の旅でもあります。
1番Bメロ|「聴きなれたリリック」で涙する理由
ずっと気づけなかったんだ 僕の心がどうにも あの聴きなれたリリックで 涙を流し出すまで
日常の音楽や言葉が、ある瞬間に突如として胸に刺さる。
それは感情の堰が切れる瞬間。「涙を流す」という行為には、溜め込んでいた本音や痛みの噴出が込められています。
リリック=歌詞を通じて、Vaundyは「自分の中の感情と向き合う」きっかけを与えているのです。
サビ①|「僕のこと つくってる」——自己の積層
今どうにか言い訳探して 目をそらしてみようが きっと僕以上に、僕以前に、僕よりも 僕のこと つくってる
このサビは、アイデンティティの形成についての描写です。
「僕以上に、僕以前に、僕よりも 僕のことをつくってる」というラインは、他者や過去の出来事、思い出が現在の自分を形成しているという深い気づきを表しています。
この表現は、自己の輪郭が曖昧なまま成長してきた不安と、それでも確かに何かが「自分をつくってきた」ことへの納得が共存しています。
2番Aメロ|「歩く道を変えた」記憶の香り
今晩は歩く道を変え 僕の心に撒いていた 小さなプライドの香りを辿ったが
1番では「駅を変え」、2番では「道を変えた」。これは外的な行動だけでなく、内面の向き合い方の変化を象徴しています。
“香り”という感覚的な記憶を頼りに歩く行為は、過去へのノスタルジーと自己再構築の意志を感じさせます。
2番Bメロ|「焦シアン蒼白」——色の喪失と回復
時は真夏 荒天と海神 蒼炎際立つ 骨相青に溶け モノクロは焦シアン蒼白へ 言葉足らずでいつも見失うの
ここでは色彩の喪失と再生が中心テーマ。
「モノクロ」は心の閉塞状態、「焦シアン蒼白」はそこから生まれた揺れ動く感情の色を象徴しています。
「言葉足らず」というフレーズは、伝えられなかった感情のもどかしさと、自分すら理解できない内面へのもどり道を表しています。
サビ②|「まぶたに映った映画」——感情の投影
悲しみは言い訳の数で 目を閉ざしてみようが ずっと僕以上に、僕以前に、僕よりも 僕のことつくってる まぶたに映った映画
ここでは、感情=映画として比喩されます。
目を閉じると流れてくる走馬灯のような映像、それは誰にも語られない記憶の記録。
「まぶたに映った映画」は、自分の物語の記憶装置であり、それすらも「僕をつくっている」のです。
大サビ|「モノクロの日々」と向き合う
僕にはどうしてわかるんだろう 迷える日々がこれとない味のエッセイ 僕にはどうしてわかるんだろう 挫折の日々は色づくため 全部モノクロ
ここでついに「僕にはどうしてわかるんだろう」というタイトルの命題に正面から向き合います。
答えは出ませんが、「モノクロだった挫折の日々が色づくためだった」と過去に意味を見出そうとしています。
Vaundyは答えではなく、“問いの持続”こそが人を進ませることを、この楽曲で示しているように感じられます。
終盤|「翡翠の軌跡を生きている」——希望の残響
あの港から光を手繰って ここまで来たんだ じっと鼓動を聞いていた 「僕たちは、翡翠の軌跡を生きている」
「翡翠の軌跡」とは、痛みも記憶も抱えながら生きる軌跡の比喩。
それが美しい石のように形を成し、いま確かに「自分」を構成していることを、やさしく肯定するパートです。
「鼓動を聞いていた」という表現も印象的で、理屈ではなく、感覚や命の音に従って歩む姿勢を象徴しています。
ラストサビ|「すべての景色が思い出すためのモノクロ」
僕にはどうしてわかるんだろう 全てのことが走馬灯、胸に残っている 僕にはどうしてわかるんだろう 全てのことがまるで明くる前のよう 僕にはどうしてわかるんだろう 全ての日々がこれとない味のエッセイ 僕にはどうしてわかるんだろう 全ての景色が思い出すためのモノクロ
この締めくくりは、過去と向き合うことの意義をやさしく提示します。
すべてのことが「色づく前のモノクロ」として存在し、そこから記憶が浮かび上がる構造に気づいた時、
モノクロの景色が実は“未来の希望”のために必要だったということが見えてきます。
まとめ|「問い」が色をつけていく
『僕にはどうしてわかるんだろう』は、自分自身と過去を見つめながらも、
それを決して断罪せず、「わからないままでもいい」と肯定してくれる歌です。
記憶は色を失うこともあるけれど、それは“モノクロ”という名の保存装置なのかもしれません。
だからこそ、問い続けること=歩き続けることが、「色」を取り戻す唯一の方法なのです。
あなたのモノクロの景色は、どんな色に変わろうとしていますか?