羊文学『春の嵐』歌詞考察|存在を問いながら生きる、春の痛みと優しさ

羊文学の「春の嵐」は、傷つきやすい心や孤独感、そして再生への一歩を静かに歌った曲。
この記事では、歌詞をパートごとに引用しながら、丁寧に解説しています。
不安定な春に寄り添うようなこの曲が、あなたの心にも静かに届きますように。

『春の嵐』Aメロ「暖かな部屋の中逃げ込んだ」

歌詞

暖かな部屋の中逃げ込んだ  
モニターの奥の世界は無限  
あの人になれないままで私  
今年も同じ春を迎える

解説

冒頭のこの4行で、「春」という明るい季節にふさわしくない孤独感や閉塞感が描かれています。
「逃げ込んだ」「なれないままで」という言葉から、他人と比べてしまったり、うまくいかない自分に落ち込む気持ちが伝わってきます。
「あの人になれない」と感じる自己否定と、「今年も変われなかった」と時間の流れへの焦りがにじみ出ています。

「存在の証明をどうやってしていくのか」

存在の証明をどうやってしていくのか  
わかんないが苦しいよ  
今、この胸は痛いよ

「存在の証明」という重いテーマに正面から向き合いながら、「わからない」「苦しい」と弱さをさらけ出しているのが印象的です。
正解がわからないまま、それでも自分の存在価値を探そうとする姿が、この曲全体のトーンを象徴しているように思います。

「苦しいけど生きてる」

痛い、痛い、痛い、痛い  
わたしは心が痛い  
雨降り、雨のない夜に  
帰ってもいい場所知りたい

繰り返される「痛い」に込められたのは、言葉にできないような精神的な苦しみ。
「雨のない夜」や「帰ってもいい場所がない」という表現から、孤独と迷子のような感覚が伝わってきます。
けれど、この曲は「それでも生きてる」と続くのが、羊文学らしい優しさです。

「それを選んだ自分」

それを選んだ自分の  
面倒は自分しか見れないのが寂しいよ  
まあいいやって笑って  
片付けたってずっと

「選んだ自分」と言いながらも、どこかに後悔や戸惑いがにじみ出る一節。
「面倒」「寂しさ」「まあとりあえず笑うしかない」そんな気持ちが交錯していて、とてもリアル。
自己責任という言葉では片づけられない、もつれた心情が丁寧に描かれています。

「この話の再放送は、次の春?」

この話の再放送はたして、次の春?

ラストの一行が、この曲の核心のように感じられます。
「春=再生や始まり」と考えれば、この問いかけは「もう一度やり直せるのか?」という自問のようにも聞こえます。
物語は続くのか、もう終わりなのか。
聴き手にその余白を残してくれるのが、羊文学らしい魅力です。

全体まとめ

『春の嵐』は、不安定な心の滑らかな跡を、満開の桜の下でも哲学的にさらりと描いてみせたような作品でした。
「わたしらしく」生きようとすることもできず、「それを選んだ自分」とつぶやきながら、でも、どうにかして「今日を生きる」ことを試みようとしている。
そんな最低系の魅力がこの曲にはあります。