Mrs. GREEN APPLE『天国』歌詞考察|愛の記憶と赦しの狭間で
Mrs. GREEN APPLEの『天国』は、傷ついた心と愛の記憶が交錯する楽曲です。
この記事では、冒頭からラストまでの歌詞に焦点を当て、その深い感情の揺れを丁寧に読み解いていきます。
「もしも僕だけの世界ならば」
もしも 僕だけの世界ならば そう 誰かを恨むことなんて 知らないで済んだのに どうしても どうしても 貴方の事が許せない
この冒頭は、「もしも」という仮定で始まることで、主人公の強い後悔と喪失の感情を暗示します。
「僕だけの世界」であれば、傷つくこともなく、恨みを抱くこともなかった。
しかし「貴方の事が許せない」と続くことで、相手に対する深い憎しみと、それに引き裂かれる自己矛盾が現れています。
この矛盾は、「愛していたからこそ許せない」という感情の表れでもあり、
Mrs. GREEN APPLEの他の楽曲『StaRt』『僕のこと』にも共通する、“人間の弱さと優しさの混在”というテーマに通じます。
「夜は ただ永い」
夜は ただ永い 人は 捨てきれない 見苦しいね この期に及んで尚 朝日に心動いている
「夜」は比喩として使われており、苦悩・孤独・葛藤の時間を表しています。
「人は捨てきれない」という一節は、過去の思い出や愛を断ち切れない葛藤を示唆しています。
しかし「朝日に心動いている」という一節は、救いや再生の兆しを描いており、
夜(苦悩)から朝(希望)への移行を、繊細に表現しています。
このような光と影の対比は、Mrs.の持つ詩世界の中核的なモチーフでもあります。
「もう最期」——愛ゆえの痛み
抱きしめてしまったら もう最期 信じてしまった私の白さを憎むの あなたを好きでいたあの日々が何よりも 大切で愛しくて痛くて惨め
このパートは、愛と痛みが極限まで重なった感情のピークです。
「抱きしめてしまったら もう最期」は、赦すこと=自分を壊すこととして描かれています。
「私の白さを憎む」という表現も非常に示唆的で、
無垢だった自分、信じていた過去の自分を、今の自分が否定してしまっている矛盾が含まれています。
さらに「大切で愛しくて痛くて惨め」というフレーズは、愛が残酷にも人を弱くすることを端的に示しており、
まさにこの楽曲の核心をなす一節です。
「そのままで居てくれれば」——取り戻せない日々
もしも あの頃 お日様を浴びた布団に 包まる健気な君が そのままで居てくれれば どれほど どれほど良かったのか もう知る由もない
このパートでは、回想と喪失が強く描かれています。
「お日様を浴びた布団」という温かい日常描写が、喪われた幸福の象徴として機能しており、
「健気な君」が過去の愛おしい存在として浮かび上がります。
「どれほど良かったのか もう知る由もない」というラインからは、
その時間が二度と戻らないことへの絶望感と、後悔の深さが感じ取れます。
「もうすぐ貴方に往くからね」——死と再会の予感
あぁ またお花を摘んで 手と手を合わせて もうすぐ貴方に往くからね 心に蛆が湧いても まだ香りはしている あの日の温もりを 醜く愛してる
このパートは、死と再会という宗教的・文学的テーマが色濃く出てきます。
「またお花を摘んで/手と手を合わせて」という描写は、弔いを連想させ、
「もうすぐ貴方に往く」という一節が、死後の再会を仄めかしています。
また「心に蛆が湧いても/まだ香りはしている」という一節では、
愛の腐敗と記憶の美しさが同時に描かれており、
美しいものが醜くなる過程を肯定するような、非常に深い表現がなされています。
「醜く愛してる」というラストの言葉が示すように、純粋さを失っても、それでも愛しているという人間的な感情が、
この曲の根底を支えています。
「どうすればいい?」——自己嫌悪と願いの交錯
どうすればいい? ただ ともすれば もう 醜悪な汚染の一部 なら どうすればいい? いっそ忘れちゃえばいい? そうだ 家に帰ってキスしよう
このパートは自問自答の連打から始まります。
「どうすればいい?」という問いは、それまでに積み重なってきた葛藤や怒り、後悔の感情の出口を求める叫びのようです。
「醜悪な汚染の一部」という表現は、自分自身が世界の汚さに染まってしまったという強烈な自己嫌悪を表しています。
それでも「家に帰ってキスしよう」という言葉が出てくることで、赦しや愛に回帰したいという無意識の願いが感じ取れます。
「どうすればいい?をどうすればいい?」——絶望と執着
どうすればいい?を どうすればいい? 腐ってしまうこの身を 飾ってください 私のことだけは忘れないで
この部分では、もはや理屈を超えた情動の奔流が描かれます。
「どうすればいい?をどうすればいい?」という繰り返しには、
思考がループして抜け出せない絶望の深さが凝縮されています。
「腐ってしまうこの身を飾ってください」という表現は、愛によって美しくなりたいという執着と、
もう元には戻れないという諦念が入り混じっています。
ラストの「私のことだけは忘れないで」は、この曲全体のエモーショナルな核です。
たとえ壊れてしまっても、痛みに染まっても、記憶だけは消さないでほしいという、
存在証明のような叫びで締めくくられています。
「また出会えたとして」——再生と赦しのラスト
あぁ 天使の笑い声で 今日も生かされている もうすぐ此方に来る頃ね あの頃のままの君に また出会えたとして 今度はちゃんと手を握るからね
この最後のセクションは、『天国』というタイトルの意味がようやく明確に浮かび上がる場面です。
愛する人との「再会」を待ち望みながら、それが死後の世界であっても構わないという、
ある種の覚悟と祈りが表現されています。
「今日も生かされている」という一節からは、死を願いながらも生き続ける矛盾が感じ取れます。
そして「また出会えたとして 今度はちゃんと手を握るからね」という言葉には、
もう二度と失いたくないという強い意志と、それを失った経験からの後悔がにじみ出ています。
全体を通して|『天国』という祈り
Mrs. GREEN APPLE『天国』は、「愛」「赦せなさ」「再生」「死」「記憶」——
それら全てが絡まり合った、非常に濃密な感情の叙事詩です。
楽曲冒頭の「もしも」から始まった後悔と怒り、
中盤の「行き場のない痛み」、
そしてラストの「また出会えたとして」という再生の希望。
これらが一つの流れとしてつながり、一人の人間の心の旅路を描いています。
この曲は、ただ失恋を歌っているのではなく、失ってもなお続いていく愛の形を描いています。
許せなかった自分、醜さに染まった自分、それでも誰かを想い続けてしまう自分。
そのすべてを認めたとき、ようやく「天国」=赦しと再生の場所が見えてくる——そんなメッセージが込められているのではないでしょうか。
あなたにとっての「天国」は、どんな風景でしょうか。