キタニタツヤ『なくしもの』歌詞考察|失ったものを、いつか見つけるために

キタニタツヤの『なくしもの』は、喪失感と再生の間で揺れる心の旅を描いた楽曲です。
どこかで落としたはずの”大切なもの”を探しながら、それでも進む日々を、幻想的な比喩とやさしさで包み込んでいます。
今回は歌詞全体を読み解きながら、その中に込められたメッセージを丁寧に考察します。

「深い霧の中を 灯りもつけずに」——喪失の始まりと心の迷い

深い霧の中を灯りもつけずに
ふら、ふらり、ひとりさまよい
無邪気な子どもがそう望んだから
気まぐれで手折られた花ひとつ

冒頭から描かれるのは「霧=迷い」「灯りをつけない=目的を見失った状態」。
子どものような無邪気さが、かえって喪失を招いたという皮肉が込められた導入です。

「ここは遺失物係です」——自分を見失った世界

『ここは遺失物係です』
『何を失くされましたか』
『場所はどこら辺か、心当たりは』

落とし物を探す場所が、まるで心の中の迷宮であるかのように描かれます。
誰しも「なにか」を失った感覚を持ちつつ、それが何だったのか思い出せない
この問いかけが、曲全体の軸になっていきます。

「すっからかんの頭」——空虚と無意識の旅

すっからかんの頭と
すっからかんのカバンの底は抜けていた
どこをどう歩いてきたっけ?

記憶も目標も定まらないまま時間が過ぎていく感覚。
それでも人は歩みを止めずに、気づけば大切なものを落としてしまっている——
そんな喪失のリアルが静かに綴られています。

「がらんどうに向き合えたら」——再生への小さな兆し

いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか

誰かとの出会いが希望につながる、という優しい問いかけ。
からっぽでもいい、向き合えたら救われるかもしれない——そんなメッセージが浮かび上がります。

「徒に巻られた翅ひとつ」——不幸を受け入れること

天から賜るこの不幸せに
前触れも、筋合いもない
ふわり舞った蝶がふと疎ましくて
徒に巻られた翅ひとつ

突然ふりかかる不運の描写。
それでも「翅(はね)」が象徴するように、繊細なものが壊れていく様子が、静かな怒りとあきらめをもって語られます。

「ひとつも戻らなかった」——それでも生きていく日常

ひとつも戻らなかったカバンの中
明日も明後日もそうでしょう

大切なものはもう戻らないかもしれない
でも、それでも毎日は続く——その現実の重みが、諦めではなく「受容」として響きます。

「生きることってなんですか?」——空虚と存在の問い

大事なものが幾つもあって
ひとつさえ失くしたくなくて
ちゃんと抱えて歩いてきたのに
気づいたら空っぽだ

本当に守りたかったものは、いつの間にかこぼれ落ちていた——
そんな現実に直面したとき、人は「生きる意味」に立ち返らざるを得ません。

「いつか、いつか、いつか」——再生への祈り

誰かを踏み潰す雨が止みますように。
差しのべられた手をちゃんと取れますように。
失くしものをあなたと見つけられますように。
いつか、いつか、いつか。

繰り返される「いつか」という言葉。
それは願いであり、祈りであり、諦めないという意思
たとえ今が霧の中でも、ほんの少しの希望だけは見失わずにいたい——そう思わせてくれる締めくくりです。

まとめ|「なくしたもの」は、きっと見つけられる

『なくしもの』は、大切なものを失ったときの痛みと、それでも生きようとする心を繊細に描いた一曲です。
記憶も希望もあいまいな中で、唯一確かなのは「探し続けること」。
それこそが生きる理由であり、未来を信じる力なのかもしれません。